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国立ハンセン病資料館を訪れて

2013年3月16日

専務から投稿がありましたのでご紹介いたします。

 

国立ハンセン病資料館を訪れて

 都内での業務のあと、東村山市の全生園に隣接する国立ハンセン病資料館に行ってきました。自分なりに感じた事を書きます。

受付で簡単なアンケートに記入して入館します。来館者住所に「広島市」と記載したので、係の方が「遠いところから・・・」と驚かれていました。

資料館は、平成5年にきれいな建物にリニューアルされていて、玄関横の遅咲きの梅の花のいい香りが漂っていました。また、小学生でも理解できるように展示が工夫されていました。

ロビーから二階へ続く歴史年表、写真。二階では展示品、名前に記憶のあった注射薬・内服薬の展示。見学を続けて奥に進んでいくと、その悲惨さに思わず涙が溢れてきます。 ただ見学途中から、自分の気持ち中に小さな違和感があって、「このモヤモヤは何なんだろう」「何か違う」とずっと自問していました。
リニューアルされる前に資料館を訪れたことがある方から聞いていた話とは展示物やその解説が随分変わって(展示物が撤去されて)いるのか、思っていた資料館とかなりイメージが違っていたからです。
昭和5年以降の無らい県運動(法律により患者を摘発して強制収容し、県内から「らい」を無くそうという社会運動)も、その責任や関与した団体、関係者。どの機関や新聞社、宗教団体が関わったのか、展示からは分かりませんでした。
重監房の展示は残してありましたが、そこに何で閉じこめられたのか、そこで何が行われたのか、そこでどう死んでいったのか。そういったことも、展示からは読み取ることができませんでした。

 

世界の国々、あらゆる時代、場所でハンセン病に対する無知、誤解、無関心、根拠のないおそれからの犠牲者とそのご家族に対して、いまだに続いている社会的・経済的差別。

平成8年の「らい予防法」廃止まで続けられた隔離政策。

資料館を見学させていただいて、改めて世界人権宣言が守られて、全ての人間が尊厳をもって生きられる社会を作っていかなければと思いを強くしました。

見学を終え、ゆったりした明るいロビーで、係の方からいただいた資料を読み返していると、自分の中にあった「モヤモヤした違和感」の正体に気がつきました。それは、国の間違った法律・政策で重大な人権侵害が行われてきたということに対して、明確な反省、謝罪が書かれていなかったことです。絶対隔離、強制隔離についても、何かあいまいな表現ですまされていて、明らかな国家犯罪であったことに触れられていないのです。
断種、中絶の記述はありましたが、生まれてきた子を殺したという事実も公表されていませんでした。

6月には、中四国保険薬局事務交流会で岡山県の国立療養所長島愛生園への見学が企画されていますが、ぜひ、事前に学習して参加してほしいと思います。でないと、大事なものを、隠された真実を見落としてしまいます。予備知識なく見学に行くと、涙して終わりになりかねません。より多くの薬局事務職員が6月の研修会に参加して、ハンセン病の歴史と今を学び、偏見・差別のない世界をつくる活動の一翼を担う民医連職員になってほしいと願っています。

susumu

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